海の向こうのパソコン・AplleⅡシリーズ

パソコンというものは、当然の如く日本国内だけではなく、海外でも利用されています。
しかし、その昔には世界的に名の知られた「伝説の名機」と呼ばれたパソコンが存在しました。
またそれは、8ビットのパソコンの全盛当時の話になります。
それが、現代の「iPhone」などを生み出したあのメーカー、「アップル」のパソコンだったのです。
今回は、当時その伝説ともなったパソコン・「AppleⅡ」シリーズについて作者の経験談からの解説です。

・伝説のメーカー「アップル」

アップルコンピュータ」というメーカーを聞いたことがあるだろうか?
もしくは、「アップル」というメーカーといえば…おそらくは誰しもが分かるのではないかと思う。
…そうなのだ。
前述の通り、現代でいえば、あの「iPod」から「iPad」、そして、「iPhone」を生み出したメーカーである。
そして、パソコンでいえば「Macintosh」…通称「Mac」の販売元であり、その創始者(※正確にはもう一人いる)が、「スティーブ・ジョブズ」氏という人物である。
ちなみに彼については、もはや解説の必要はないと思われるが…その生い立ちや生涯を描いた物語は自伝本として出版されており、誰もが知るところではないかと思う。
しかし…。
このメーカーの創始者は実は二人居り、この記事で話題に取り上げるとしたら…そのもう一人の創始者・「スティーブ・ウォズニアック」氏であろう。
彼はもと同メーカーの「ハードウェアエンジニア」であり、各種販売されたハードウェアのその生みの親でもあるのだ。
今回は、そんな偉大な彼らが生み出したパソコン・「AppleⅡ」シリーズについて触れたいと思う。


・AppleⅡというコンピュータ

…さて、作者がそのパソコンの存在を知ったのは、中学二年の頃であった。
いまからだと…およそ30数年前のことになるが、同時にパソコンというものに興味を持ち始めた頃の話でもあった。
当時出版されていた、あるパソコンの情報誌に、海外のパソコンのゲームソフトの画面が掲載されていた。
それは多分、記事のイメージ画像であったのだろうが…その画面をみたとき、これは国内のパソコンのものなのか…?と、当時は勘違いしたものだった。(※例えば当時で言えばNECの「PC-6001」あたりとか)
おそらくは「シュミレーションウォーゲーム」…後にこのソフトウェアは「サウザンコマンド」という名前であったことが判明するのだが…その画面をみる限り、その表示は非常にお粗末で単純なものであったのだが…どこか「コンピュータゲームらしさ」というものを色濃く前面に押し出している…という印象を受けた。
…というか、いかにも家庭用テレビに映る「滲んだ色合いの画面」のそれだったのだ。
ところで当時家庭用テレビに直接つなげることができるコンピュータ…パソコンといえば、やはりNECの「PC-6001」あたりが主だったが、この頃国内ではあまり知られていなかったメーカーなれど安価なパソコンも多数販売されており、それらは標準で家庭用のテレビに接続して使うことができた。(※シンクレアの「ZX-81」、ソードの「M5」など)
もっとも各メーカーのパソコンは、家庭用のテレビに接続するための「RFコンバータ」(※または「モジュレータ」)なるものも販売されていたが…当時は意外に高価なものだったのだ。
…だが後に「MSX」という規格のパソコンが販売されるが、これらは標準でそれに接続することができるようになった。(※但し「ビデオ入力端子」を介しての接続となる)
さて…前述したその画面が、当時世界中で爆発的なヒットととなったあの8ビットパソコン…「AppleⅡ」のものであったのを、作者は後に知ることとなった。


・「6502」というCPU

ところでこのAppleⅡ。
そのパソコン本体の外観や性能は、ネットなどで検索すれば幾らでも出てくるし、その詳細が判明するのだろうが…実は作者はその詳しいスペックというものを未だ知らない。
但し…その中で、ある一つだけ着目していたことがあった。
それは、搭載されている「CPU」である。
作者の記憶では、確かメーカーは、モトローラ社製の「6502」だったと思う。
ところで国内外をはじめ、当時でもこのCPUを搭載したパソコンは殆ど無かった。
あるとすれば、同海外のメーカーである「commodere」(※「コモドア」または「コモドール」と読む)社の「VIC1001」というパソコンだ。
しかし…。
後にこのCPUは、日本国内において、あるベストセラーとなったハードウェアに搭載されることとなったのだ。
それが、任天堂から初めて発売された家庭用ゲーム機・「ファミリーコンピュータ」であった。
また、その6502をカスタム化したCPUが搭載された家庭用ゲーム機があった。
それは、NECから発売された家庭用ゲーム機・「PC-Engine」であった。
なお、カスタム化された6502を搭載したゲーム機は、同任天堂の携帯ゲーム機・「ゲームボーイ」がある。
さて、6502というCPUは当時から優秀なCPUだったらしい。
当時の8ビットのパソコンで主流のCPUといえば、米ザイログ社の「Z80」、同じくインテル社の「8080」が挙げられるが、その性能はこれらのCPUよりも上ともいわれていた。
そんなわけでCPUそのものについては当時の記憶の限りだが、同メーカーで開発され国内のパソコンでも採用されていた「6809」というCPUと同じく、その16ビット版というものも存在する。
残念だが、こちらももう作者の記憶の限りなのだが、確か「65C812」か「65C816」というCPUだった様に思う。
また、これも偶然の様に、後述するAppleⅡの後継機種である「AppleⅡgs」に搭載されるようになり、また、任天堂も当時の次世代機だった16ビットの家庭用テレビゲーム機・「スーパーファミコン」、そして、「ゲームボーイアドバンス」に採用されるようになったのである。


・高価なハードウェア

前述の通りAppleⅡの外観については、おそらくネットで検索すればその画像はいくらでも出てくるだろう。
本体のその外観は非常にシンプルで、キーボードと一体化した本体に基板と電源ユニットが入っているのが特徴だ。
しかし…。
AppleⅡは当時国内のパソコンでも主流だった「データレコーダ」…いわゆる「オーディオカセットテープ」を記録媒体としたそれは採用されていなかった。
…というよりも、このパソコンでは既に、その補助記憶媒体としては、5インチの「フロッピーディスク」(※以下、「FDD」と略)が採用されていたのだ。
それゆえか、基本的な構成を整えると、とにかく価格面ではかなり高価であった。
作者が覚えているのは、「AppleⅡ Jplus」(※キーボードがカナ仕様付き)で418,000円、後の後継機であった「AppleⅡe」で398,000円という価格だったことだ。
そして専用のFDDのユニットが、同メーカーの純正品で確か198,000円であったと記憶している。(※但し1ドライブ/※1基のみで片面記録仕様)
そのために日本国内の当時のハードウェアメーカーが、FDDユニットを安く販売していた事実がある。
その代表的なメーカーとしては、当時プリンタのメーカーとして有名だった「精工舎」、そして、「エプソン」だった。
ところで作者はその中学生当時、直接メーカーへカタログの送付を頼んだ覚えがある。
その頃は確か、販売元が「アップルコンピュータジャパン」だったのだが、後に同メーカーの日本国内での販売は、コピー機のメーカーであった「キャノン」が代行することとなった。

補足事項

AppleⅡの後継機として、「AppleⅢ」というパソコンが販売されていた事実がある。(※価格は不明)
当時作者もこのパソコンの存在は知っていたが、同パソコンは当時公開されたディズニー映画・「TRON」(※「トロン」と読む)でも主人公・フリンが愛用するパソコンとしても登場していた。
その形状としては、本体の筐体に5インチのFDDを内蔵したものであったが…その大きさは、半端ではないくらいバカでかかった。(※こちらもぜひネットで検索でもして、実際の画像をご覧いただきたい)


・実際の使用について

断っておくが、作者はこのAppleⅡというパソコンを実際に触ったことはない…といいたいところだが、実は高校生当時、同じクラスの友人がめでたく「AppleⅡe」を購入したため、その「スゴさ」というものを、間近で感じることができた。
なにしろ、彼はわざわざ作者の自宅までそれを持ち込み、いろいろとソフトウェアもみせてくれたのだ。(いま思えば、彼はパソコン本体を片手で担いで自転車に乗っていたのだから驚きである)
さて…一言でいえば、そのシンプルな外観の割に、その用意されたソフトウェアは実に素晴らしいものばかりであった。
当時作者が使用していたのは、シャープの「X1」シリーズであった。(※このホームページの別の記事で掲載している通りである)
確かに国内産のうえ、同パソコンの性能も素晴らしかったが…それに比べてお粗末なハードウェアであるはずのAppleⅡは…まさにその上をいっていたのだ。
…ではここで、最初に付け加えておこう。
友人は、本体にオプションボードとして、幾らかの多重和音での音楽演奏を実現する、「モッキンボード」というサウンドボードを搭載していた。
そのために、このときみせてもらったゲームソフトの音楽(※その「BGM」)というものは、いまでは耳障りなSSG(※「PSG」)音源ではあれど、実に秀逸だった。
いや…それがお粗末にみえる画面を不思議に引き立てていたのだ。
当然のことながら、開発したのは日本のメーカーではなく海外のメーカーだ。

PC88GAME

そのゲームソフトを幾つか挙げるとすれば…まずは「RPG」(※「ロールプレイングゲーム」)で、当時では後に日本国内のパソコンでも移植された大作・「ウルティマⅣ」。
場面各所において、実に不思議な旋律の曲が流れていく。(※画像はNECのPC-8801シリーズに移植された「ウルティマⅡ」のもの)
そしてこちらも日本国内のパソコンに移植され爆発的なヒットを飛ばした、もう一つのRPGの名作・「ウィザードリィ」。
ちなみにこちらはBGMが付いていなかったが、立体表示(※3Dの線画)による迷路(「ダンジョン」)の中を冒険するゲームだが、作者はこのとき初めて、当時日本国内で販売されたパソコンのRPGのルーツというものが、これらのゲームにあることを知った。(※当時国内で販売されたRPG・「無限の心臓」・「ブラックオニキス」など)

さて次に3Dのアクションゲームであった、「スカイフォックス」。
同ソフト名の戦闘機を操り、敵をバンバン撃ち落としていく…というものだ。
オープニングに流れる壮大なBGMが印象的だった。(※ただ単にボリュームの設定が大きかっただけかもしれないが…)
また、描画されているのはあくまでも「絵」なのだが…それがなんと適度な速度で動く。
ちなみに作者の持っていたパソコンでも、3Dといえばまだ線画の段階、しかもスピードはかなり低速というものだった…。
これもまた印象的なゲームだったと思う。

また、これは当時のパソコンの雑誌に掲載されたものだが、当時FDD6枚構成の「アドベンチャーゲーム」で、「タイムゾーン」というゲームがあった。
このゲームの中で日本の「侍」が登場する一場面があるのだが、これがどうみても中国かモンゴルの大陸人風という感じで、持っているのは刀ならぬ「青龍刀」?のようなものであった。
また、その掲載された画面上の説明文の中に、「…No! samurai warrier to kill you…」なる記述がなされていた。

さて、その一方で、他のジャンルのソフトウェアはみていないのだが…現代でいう「基本ソフト」(※「OS」)として、「PRO-DOS」というものが用意されていたらしい。
また、AppleⅡには文書作成…そのワープロソフトとして、「アップルライター」、そして表計算ソフトウェアとして、「ビジカルク」などのソフトウェアもあったが、これらのソフトウェアはすべて海外製のため、日本語には対応していない。
あくまでも、「英語」版のソフトウェアである。(まぁ使えないことはないのだろうが…)

補足事項

AppleⅡシリーズは、後に「AppleⅡc」という型番が加わった。
この機種、できればぜひその本体の外観をみていただきたい。(強くお勧めしよう)
当時では5インチのFDDユニットを搭載していながら、非常にコンパクトにまとめられており、持ち運びも便利(…そうだった?)であった。
この機種は作者が高校生当時、松山市の某パソコンショップに展示されていたことがあった。
そのとき、たまたまデモンストレーションのソフトをみたのだが…相変わらずデキはすごかったのを覚えている。
また、ある時期県下の某メーカーの販売店で、このパソコンがデッドストック…いわゆる「手つかず」の死蔵品のままになっていた…という話もきいたことがあったが、当時ではマニアにはたまらない事実であったろう。


・16ビットのAppleⅡ

さて、やがて時代が16ビットのパソコンへと移行する中、アップルコンピュータも、当時その対応機種を販売していた。
それが現代でも知る人ぞ知る、「Macintosh」(※「マッキントッシュ」と読む)シリーズ…通称「Mac」(※「マック」と読む)である。
Macは早くからそのOSに「GUI」の環境を採用しており、世界に先駆けてその現代のパソコンのOSの基本インターフェイスを築いた…と、いいたいところだが、そのへんは作者も知らないし定かではない。(また、それ以上のことについては解説しない)
…ただ、当時国内のメーカーであるシャープから販売されていた「X68000」シリーズは、これを強く意識したパソコンだったといえた。(※このホームページでも別の記事で掲載)
さて、作者がここで解説したいのは実はMacではなく、AppleⅡシリーズの16ビットパソコンで、その後継機である。
それは、「AppleⅡgs」というパソコンだった。

こちらもしつこいようだが、その本体の外観などについてはネットで検索してみるといいだろう。
…さて、このパソコン。
その本体の筐体はコンパクトであるのだが、それでいてキーボードと本体が分離した「セパレートタイプ」の構成であった。
そして本体前面には、前述した開発者でアップルコンピュータの創始者の一人である、スティーブ・ウォズニアック氏のサインが刻まれていた。
また、このパソコンは当時、辛口のパソコンの批評誌において、「パソコンとは何かを示すマシン」…とまでに評価されていたのだが、実は作者は素直にその意味を理解できた。
…というのも、作者は学生時代に、このパソコンをみたことがあるためだ。
前述のAppleⅡeを所有する友人とは、また別の人ではあるのだが、ある場所にて、たまたまその機種をみせていただいた。
ところで当時作者がみたのは、自動で流れる、いわゆる「デモンストレーションソフト」であった。
多彩で精細なグラフィックの描画機能と、音声機能…当時では噂以上のものだった。
そのグラフィックもさることながら、実物の楽器から「サンプリング」された音楽の演奏などは…もはや当時でいえば夢のようなものであった。
ちなみに…従来のAppleⅡシリーズのソフトだが、一応「アッパーコンパチブル」(※「上位互換」という意味)ということで、その動作はほぼ保証されていたらしい。

さて、前述の様に、このパソコンと同じCPUを搭載した家庭用ゲーム機が当時国内で発売された。
それが、「スーパーファミコン」だった。
その性能…いや、それだけのスペックを誇るためのCPUのチョイスや考え方が一緒なら、やはりすごいことができるようになるのだ…と、このとき作者はあらためて思った。
また、海外の人は、やはり目の付け所が違う…と言わざる負えない。
つまり、それだけ海外の人の考えることというのは凄いことなのだ…と、このときあらためて実感させられた。


・消えゆく名機のあとには…

当時のアップルコンピュータのテクノロジーというものは、確かに凄いものがあるといえた。
だから、現代の「iPhone」を生み出せたのも、素直に頷ける事実だ。

ところで作者は昔、ある時期まで仕事でMacを使用していたことがあった。
思えば1つしかボタンのないマウスなど、そこらのパソコンとはその仕様も違い、随分と変わったパソコンだと思うと同時に、その操作に戸惑ったものだった。
当時は「ハイパーカード」や「ページメーカー」、また、「エクセル」などといったソフトウェアを使っていたと思う。
そのほか、当時「dBASE Mac」というRDB(※「リレーショナルデータベース」と読む)も使用した記憶がある。
ちなみにその時使用した機種は、記憶の限りでは「MacintoshⅡ」の「Vi」、「Vx」という型番であった。
当時は後に、持ち運びが可能なポータブルなMacも販売され、それを触ったこともあったが…その価格が、なんと100万円ほどだったという記憶がある。
…だが、いまではどれだけの値打ちモノなのであろうか…と、ちょっと気になるところだ。
また、それからおよそ10年後くらいに、ある仕事であのカラフルな「iMac」も使っていたように思うが、一部の業務に固定して使うほどに留まっていた。(これはもう少し使っておくべきだったか)
そもそもMacは、「マニュアルの要らないパソコン」という思想がある。
そのために、誰が使っても素直に入り込めるように…と、OSやソフトウェアは、その「ユーザーインターフェイス」にも気を遣っている様だった。

さて、そんなMacシリーズは現代でも販売され続けている。
また、その根強いファンも多いだけでなく、実際の実務では画像処理やデザイン、Web制作の現場でも多く利用されているのも事実だ。(おそらくはWindowsよりもMacの方がその占める割合は多いはずだ)

これは作者も書籍でしか読んだことはないが、思えばむき出しの電子基板にキーボードの付いたお粗末なハードウェアが「Apple I」として発売され、それが後にとある出資者から援助を受けて発売されたのが、前述のApple IIといわれている。
そしてこのコンピュータが時を経て、掌の中に入るあのiPhoneにまで進化したのだから、いやはやテクノロジーの進化というものは凄い…とあらためて感じさせられた。(まったく当たり前のことだが…)
ちなみにiPhoneはスマートフォンだが、また後に触る機会でもあれば、ぜひ記事にしてみようか…と、思う次第だ。