NEC製パソコン・PC-9801シリーズ編

さて、別頁では「体験記」として、その機種についてある程度解説すると共に、作者が実際にそのパソコンを触った際の体験談などを掲載しました。
このページでは、それに加えて作者がそのパソコンを実際に仕事で使用した際に、どのように活用してきたのか、また、同時にその当時に習得した「テクニック」について解説したいと思います。
なお…。
ここに掲載されていることは、あくまでも作者が当時仕事で得た知識と経験であり、また、それらを独学で学習した結果でもあります。
そんなわけで内容は、かなりレガシーな技術で、また、ちょっとマニアックなものですが、現代のパソコンユーザーの皆さんのお役には立てませんが…たとえばオークションなどで、今回解説するこれらの機種を手に入れられた方など、分からない事があった場合などに、何かのお役に立てれば幸いです。

・作者が初めて購入したPC-9801

その当時、作者は社会人になっても個人のパソコンは、しばらく8ビットパソコンであった。(※もちろん職場では、メーカー各社の16ビットパソコンや、業務専用機、汎用機などを触っていた)
だが…ひょんなきっかけで、仕事でPC-9801シリーズをどうしても使用しなければならなくなり、やむなく購入を考えることとなった。
その理由として、当時は業務上、顧客に対してかなり込み入ったところまで対応をしなければならないため、それは勉強用として購入したような形となった。
そんなわけで当時購入したそれは…下記のような(おそるべき?)システム構成であった。(※ちなみに当時は、既に「PC-9801FA/FS/FX」が販売されている時代である)

  本体 PC-9801E ※ワケありで、すぐに修理に出し使用できる状態にした。
           結局、マザーボードの交換(※時価数万円)が必要となった…。
     PC-9801-10 漢字ROMは別途通販にて購入。→ ※このボードは専用のソケットに差込み式
     PC-9801-17 外部フロッピーディスクインターフェイス
     PIO-34汎用EMSボード(※1MB) → 当時PC-9801シリーズのメインメモリは標準で640KB
                      但しPC-9801Eは、そのままの状態では不足(※128KB)なので…
                      メインメモリ補充分512KB+増設メモリ分512KBとして使用

     PC-9881 初期の8インチフロッピーディスクユニット(※1.25MB/規格「2HD」)

ちなみに外部ディスプレイは、永く使用していたシャープのX1turboのものを使用。(※当然、この時期の98シリーズは、既にアナログ方式である)

PC9801

一見すれは、当時とはかけ離れているシステム構成だが…実はちゃんと当時のソフトウェアは、すべて問題なく動作した。
…ただ、使用するソフトウェアはすべてフロッピーディスク版として運用すること、そして、処理速度を考慮しないのであれば、わりと使用できるシステム構成だったのである。
ちなみに当時発売されていた同機種のソフトは、この構成で使う限りフロッピーベースではあるがまったく問題がなかったといえた。(※画像はPC-9801Eの本体全面)

FDDUNIT

それでは、このシステム構成でのポイントを解説しよう。
まず、外部フロッピーディスクユニットにPC-9881(※画像左側)を使用しているが…これは当時初代PC-9801専用に用意されたもので、その本体に接続して電源を供給するタイプのユニットである。(※後に「PC-9881K」が発売となった)
…では当時なぜ、私がこれを使用できたのか?
それは、なんとPC-9801の電源ユニットをパーツで手に入れたのだ。(※当時は地元にあったサービスセンターで入手できたが、通販でもパーツとして入手は可能であった。/※上記画像右側)

しかし、パーツ代は割高で、しかも電気代はたまらなかった。(※多分本体のユニットであるから、本体分の電源が必要だったのだろうが、まず正常に動作するだけマシといえた)
また、外部フロッピーディスクユニットを接続するインターフェイスボードは、PC-9801/Eシリーズでは、特定のスロットに差し込まなければならないという規定がある。(※当時の本体に添付されていたマニュアルに掲載)

さて、次のポイントである。
初期の9801シリーズは、「ROM BASIC」(※電源ONで立ち上がるBASIC言語)が使用でき、その中で従来の「マシン語モニタ」も使用できたことだ。(アセンブラも使用できるため、システムは原始的だがCPUについての学習も可能)
当時はそんな使い方は既に時代遅れだったが…実は9801シリーズは、データレコーダの接続コネクタはない。
それは、専用のインターフェイスボードが必要となる。(※型番はPC-9801-03/「CMTインターフェイスボード」)

さらに次のポイントである。
驚くことに、これらの機種以降に発売された98シリーズに搭載されている、同社が開発した16ビットCPU・「V30」は、そのまま使えるらしい。(※ソケットに差し替えだけで良い)
何かの折には予備部品で持っておくのもいいと思われる。


・当時の初期導入のセッティング

現在のような「Windows」とは違い、当時使用されていた「基本ソフト」は「MS-DOS」と呼ばれるものであった。
また、現在では基本ソフト、いわゆる「OS」のパソコンへのインストールは、すべて自動化されユーザー側の負担は殆どなくなった。
しかし…当時はそのパソコンに搭載されたメモリの配分を、どう利用するのかが、ある意味の「テクニック」とされていた時代でもあった。
そんなわけで、当時私が設定したそのファイル…「CONFIG.SYS」の設定例をご紹介しよう。
但し、PC-9801(※PC-9821)シリーズでの設定に限定されるので、そのへんはご了承いただきたい。

ところでこれは「OS」ではないのだが、当時はまず、MS-DOSをパソコン本体内に内蔵されたハードディスク(※以下、「HDD」と略)にインストールして、それから「HDDのメニューソフト」をインストールして使用するのが一般的であった。
これは、HDD内部に複数のアプリケーションソフトウェアをインストールしたものを、一覧メニューからワンタッチで起動させるものだ。
当時、同機種には「ICM」や「ロジテック」など、サードパーティー製のHDDが軒を連ねていた時代でもあった。
また、それらには前述のメニューソフトが付属していたのである。(「EOSystem」/ICM製・「DiskPilot」/ロジテック製)
実はこれらのメニューソフトで起動するためのアプリケーションのセッティングも、なかなかにコツが必要だったのだ。

さて…ここでちょっとした予備知識なのだが…当時のPC-9801シリーズの一般的なメインメモリの容量は、前述の通り640KBであった。
しかし…初期の同機種では128KB384KBであるなど、容量が少ないものもあった。
当時98シリーズの「花形マシン」といえば「PC-9801VM2」であったが、その当時、このパソコンにはまだメモリは384KBしか搭載されていなかった。(※余談だが「16色カラーボード」というものもオプションだった)
このように、初期の98シリーズを扱う場合は、注意が必要である。

CONFIG.SYS

それでは、実際のセッティングをみてみよう。
画面は、Windows上で動作する、同機種の「エミュレータ」のものてある。(※ここでは「エミュレータ」についての詳細・解説は省略)
そして、使用している「MS-DOS」のバージョンは、「6.20」である。



さて、一番上の行に設定しているのが「メモリドライバ」である。(「DEVICE」行の「MELEMM.386」)
このドライバは、「メルコ」(※後の「バッファロー」)というメーカーの、「メルウェア」に付属しているメモリドライバである。ちなみにメルウェアは、同社のメモリボードに付属していた。
作者としては、当時このドライバが一番効率がいいとして、よく利用していた。 その理由としては、このドライバを使用することで、搭載されているメモリを効率よく使用できるからである。
また、このメーカーに対して「アイオーデータ機器」というメーカーも、当時メモリボードを提供しており、「メモリサーバ」というドライバを添付していた。(メモリドライバのファイル名は、「VMM386.SYS」だったと思う)

さて、前述したHDDのメニュープログラムからは、通常のアプリケーションは起動できても、後に登場した「Windows 3.1」は起動することができなかった。つまり、ある意味の「共存ができなかった」のである。
これは、MS-DOSのバージョン・「5.00」(※同NEC販売/当時)から付属していたメモリドライバである「HIMEM.SYS」が原因であった。(※上記の画面・「For DOS 6.2 Setting」以降の行)
簡単に言えば、ドライバによってメモリの管理が違うためである。
インテル社製のCPUである「8086」シリーズは、後に「80286」(※16ビット)、「80386」(※32ビット)、「80486」…に変わっていくのだが、80286以降は、1MB以上のメモリを扱えるようになったため、そのためにHIMEM.SYSが用意された。
しかし、その動作としては16ビットから32ビットに変わっても、「リアルモード」と呼ばれる、これまでのメモリ管理方法のままであった。
そこで、それ以上のメモリ空間を効率よく使用するためには、実際に32ビットで運用する本来のモードである、「プロテクトモード」にする必要があった。
そこで「VCPI」または「DPMI」という技術が用いられるようになり、メルコやアイオーデータは、それに対応したドライバを用意したのである。(ここでは詳しくは解説しないが、当時のそのメモリ管理などについて興味のある方は、ぜひ調べてみるといいだろう)

…まぁ結局、これらのドライバで設定しておけば、通常のアプリケーションソフトウェアだろうが、Windows 3.1だろうが、どちらでも正常に立ち上げることができるというわけである。
但し…後に登場するWindows 95では、従来のドライバはすべて書き換えられることになる。

さて、そんなメモリの管理の違いから、最初はCONFIG.SYSを、バッチファイル(※現在でいう「WSH」みたいなもの)で、うまく切り替えられるようにセッティングすることも可能であったが、後にこのメモリドライバの設定で使用することができるようになった。

※補足事項

当時、「IDE」規格のHDDでメルウェアのバージョン「5.18」について不具合が発生。
「5.20」で回避されたものと思われる。
ちなみに作者が使用した最終バージョンは「5.22」(※Melware for Windows)であった。


・日本語入力部(FEP)のセッティング

さて、DOSのセッティング時における大切な作業といえば、もう一つがこの「FEP」…「フロントエンドプロセッサ」の設定である。
FEPは、本来は「前段階の処理を行うもの」…つまり、システム起動時などに実行される処理のことをいうが、当時DOSの起動と共に日本語入力機能の部分を設定することから、これらがFEPと呼ばれるようになった。
なお、これは現代のWindowsでいえば「IME」のことであり、その意味はまったく同じである。
…ただ、MS-DOSでは、当時アプリケーションを立ち上げる際には、その都度それを設定してやる必要があったのだ。

ところで当時はFEPもユーザーの好みに応じてセッティングは可能であった。
主なものを挙げれば、NEC純正の「NECAIかな変換」、当時の人気ワープロソフトであった「一太郎」でお馴染みのジャストシステムの「ATOK」、そのほかシステムソフト(※当時)の「VJEβ」や管理工学研究所(※当時)の「松茸」といったものがあった。
…だが、それらを使用するためには、やはりCONFIG.SYS上での設定が必要であったのだ。

FEP

それでは、前述と同じく「エミュレータ」の画面で解説していこう。
説明が後になってしまったが…「rem」は「注釈」を意味する。つまり、その行は実行されないということだ。
また、上から「NECAIかな変換」、「VJEβ」、「ATOK」の順番である。
この記述から、どのドライバが必要で、どのように記述すればよいのかが分かると思う。

さて、ここでポイントである。
ATOK」の設定をよくみて欲しいのだが…ここではまだよく分からないと思うが、「A:¥ATOK7¥ATOK7A.sys…」という記述があると思う。
これは、コマンドプロンプトをある程度使える方ならお分かりと思うが、「A:¥ATOK7」というフォルダの中にあるファイルを指定しているのだ。(※当時は「フォルダ」ではなく、「ディレクトリ」という用語が一般的であった)
実はわざわざフォルダ名を指定して記述しているのには理由がある。
それは…当時ごくまれに、こうしてフォルダから指定しないと、設定できない場合が多く見受けられたのだ。(※結局、原因は不明だったのだが…正直、当時たまたまできた…という結果に終わっている)


・そのほかの各種セッティング

前述のように、CONFIG.SYSの設定が自在にできるということは、そのほか、必要な各種ドライバもセッティングできるということである。
また、前述したもののほかにも、マウスを使用するためのドライバ・「MOUSE,SYS」や、プリンタを使用するためのドライバ・「PRINT.SYS」などがある。
ちなみにここでは、PC-9801シリーズでの解説だが、これが「DOS/V」パソコンだった場合…これは98のものよりも、若干複雑になる。(…と、私は思っている)…というか、設定の項目がかなり多いのだ。

それではここでポイントである。
CONFIG.SYSで設定した内容は、システム起動時に反映される。
しかし…これらが後で(起動後に)追加できないか…というある意味の問題も発生する。
が、これらのドライバは勿論、後で追加で設定することもできるし、取り外すことも可能であった。
但し、COFNIG.SYSで設定した内容は、取り外すことはできない

その追加/取り外す方法は、MS-DOSのコマンドである、「ADDDRV」と「DELDRV」を使用する方法だ。
その実行はちょっと手間がかかるが…要は、前述の「DEVICE = A:\○○…」の部分の記述のみのファイルを作成し、そのファイルの拡張子を「DEV」にしておく。
そして、「ADDDRV 設定したファイル名.DEV」で実行すればよい。
ちなみに取り外す場合は、そのまま「DELDRV 設定したファイル名.DEV」でよい。

さて、ここでまたポイントを一つ。
ここで設定しているドライバは、そのファイルの拡張子が「SYS」のものだが、実は「実行形式」になったドライバも存在する。それは…ファイルの拡張子が「EXE」のものである。
MS-DOSのバージョン・「5.00」以降では、「MOUSE.EXE」というファイルもある。


・当時のごく基本的な設定例について

ここまで解説してきた通り、CONFIG.SYSの設定や各種ドライバの使い方は、だいたいお分かりいただいたと思う。(ざっくりと…いう感じだろうか)
そんなわけで、ここでは当時のPC-9801シリーズにおいて、一つ、基本的なCONFIG.SYSの例と、その詳細な解説を掲載しておきたいと思う。
ただ…それはページ上に掲載するのではなく、ファイルとしてダウンロードできるようにしておこうと思うので、しばらくお待ちいただきたい。
なお、今後の予定としては、「GitHub」などで公開予定である。


・拡張ボードのセッティング

当時は古い機種に限らず、新しい機種でも「増設メモリ」などの、いわゆる拡張ボードを本体背部に差し込んで使用するのが普通だった。(メモリだけで二つ増設する人もめずらしくはなかった)
ところで拡張ボードを使用する際は、勿論CONFIG.SYSの設定が必要になるが、それ以前にボード側、いわゆるハードウェア側で、ある意味の「競合」が発生する場合があった。
これらを回避する方法として、ぜひそのテクニックを掲載したいと思ったのだが…記憶の限り、「とにかくボード一つずつを設定または、差込みしながら調整していく」…方法をとる以外なかったようだ。
当時は「ID」と呼ばれる、ある意味の「認識番号」というものがあり、それをボード上のディップ・スイッチなどで設定していくものであった。
既に差し込んでいる他のボードとの競合が起こり、当時は作者も随分と頭を悩ませた記憶がある。
結果、これはポイントというわけではないが…とにかくボード一つ一つを順番に組み合わせて、動作確認してから新たなボードを差し込む方法をとるのが一番の様だ。


・当時の定番のアプリケーションソフトウェア

当時PC-9801シリーズは、そのMS-DOS上で動作するアプリケーションソフトウェアは多かったが、その中でも、もっとも定番だったソフトウェアを挙げるとすれば、まず、日本語ワープロではジャストシステムの「一太郎」、表計算ソフトでは株式会社ロータス(※当時)の「Lotus1-2-3」、そして…データベースでは管理工学研究所(※当時)の「」や、株式会社アスキーの「The Card 3」だった様に思われる。(※公正に、当時売れていたソフトウェアとして評価した場合)

一太郎にいたっては、作者自身も学生時代からよくみかけていたが…DOS上にてあの文節変換を実現した「ATOK」は、やはりすばらしいものであった。また、それらをフロッピーベースで使用できるのも、当時では見逃せない点である。(※同ソフト・バージョン3の「ATOK6」など)
ところで一太郎は、当時バージョンが「4.3」から「5.0」…そして、「6.3」へとバージョンアップしていくが、そんな中、PC-9801Eで同ソフトを動かしていた私は、「一太郎dash」を使用していたものだ。
ちなみに同ソフトは「4.3」のライト版(※簡易版)のようなものだった。
なお、ワープロソフトにいたっては、このほか管理工学研究所の「」も有名であったが、これは意外に学校などでよく使用されていた様だ。

123DTP

さて、表計算ソフトでは当時、株式会社ロータス(※当時)の「Lotus1-2-3」が主に多く使用されており、自治体や一般の企業などでは定番のソフトウェアであった。
当時はバージョンが「R2.3」から「R2.4」に移り変わる頃でもあったが、後者のバージョンでは、「表計算DTP(※左画像)」という機能を持っており、当時発売されていた同ソフトのWindows版の様に、DOS版でありながら、ちょっとした装飾も可能であった。(※但しハードウェアによって制限がある)

一方、この当時マイクロソフトも「マルチプラン」という表計算ソフトを販売しており、こちらは古くからのユーザーに根強い人気があった。また、このソフトには表計算のデータからグラフに展開させるツールも用意されていた。余談だが、あの8ビットパソコンのMSXにも、「MSXプラン」という専用版があった。
そして、シャープの8ビットパソコン・「X1turbo」シリーズにも、増設メモリと共に同ソフトがリリースされていたようだ。

実は当時販売された表計算ソフトはこれだけではなかった。
あのジャストシステムが、「三四郎」と呼ばれる表計算ソフトを販売しており、こちらも一太郎と連携をとれるなど、なかなかに優秀なソフトウェアであった様だ。
互いのデータを共有できるのは、特に注目すべき点だった。

さて、データベースソフトウェアについてだが…こちらは作者の場合、仕事上ではかなりの種類のソフトウェアが存在した。
まずは管理工学研究所の「」。
データベースファイルそのものを、現在でいう「表形式」で扱えたり、専用のフォーム画面を作成するなど、カストマイズにおいても充実していた。さらに、内部でプログラムのような一連の処理を記述することもできるため、販売管理システムなどを組んだりもできた。(※但し、ソフトそのものの価格は高価だった)

このほかには、リードレックス(…だったと思うが)というメーカーのカード型データベースである「DATABOX」や「F1DATABOX」がある。また、同じカード型のデータベースソフトについては、株式会社アスキーの「The Card 3」などもあった。

当時もデータベースソフトは多数存在したが、ちょっと込み入ったシステムを組みたいときは、ジャパンアシュトンテイト(※当時?)の「dBASEⅢ」があった。
ちなみにこのソフトは、「RDB」(※「リレーショナルデータベース」である。
また、このソフトは当時、パソコン用のオーダーメイドのソフトウェア開発会社では、多く使用されていたという事実がある。
これは、前述の「桐」のように、入力用のフォーム画面を作ったりすることができるのだが、ポイントはそのデータベースファイルの取り扱いを、プログラムで自在に扱えることだ。(※但し、現代でいう「SQL」ではない)
ちなみに作者は学生当時、所有していた8ビットパソコン用のOSである「CP/M」の上で「dBASEⅡ」という以前のバージョンを動かし、家計簿システムを製作して使っていた。

さて、これは作者は未チェックのまま時が過ぎてしまったのだが…ジャストシステムが「五郎」というデータベースソフトウェアを販売していたらしい。


・開発用ソフトウェアとそのツールについて

masm

一般に「MS-DOS」本体には、開発ツールというものは付属していない
また、開発用ツールとしてそのソフトウェアは提供されている(※販売されている)が、その中に「アセンブラ」などは付属せず、「デバッガー」や、一部のファイル変換のツールなどが収録されているのみであった。(※ファイル変換プログラム・「EXE2BIN」などはアセンブラで必要)
また、アセンブラについては、別途「MASM」(※「エムアスム」と読む/※画像・左)が当時販売されていたが、こちらはやや高価であった。

さて、従来からこのパソコンでは定番だったBASIC言語も、勿論当時は健在であった。
私が記憶する限り、「N88-BASIC(86)」は、最終バージョンは「6.2」であったように思う。…というか、今は手元にないが、購入していたので間違いないだろう。
最終バージョンでは、PC-9821シリーズ(※別頁)の特有のAV機能も、ほぼこのBASICで制御することができる。
作者としては、一番目を引いたのは…やはりFM音源の制御機能であった。
なお、通常のPC-9801シリーズに内蔵、あるいはボード(※PC-9801-26K・PC-9801-86)で拡張されたFM音源にも対応している。

ところでその当時、あるパソコンが「C言語」での開発ツールを充実させていたが、実は98シリーズも、このC言語とその開発ツールは用意されていた。
DOSベースでのソフトウェア開発を行うなら、マイクロソフトの「MS-C」や、米ボーランド社(※当時)の「Borland C」(※「C++」)が挙げられる。なお、後者はDOS版でありながら、開発環境(※現代でいう「IDE」)のような画面を持っていた。
なお、これは余談だが、テキスト文字に色をつける…いわゆるカラー制御ができるのは、Borland系のC言語だけである。


・ホビーの分野でも意外に楽しめた98

gaplus

発売当初はビジネス志向の強い98シリーズであったが、PC-9801U系の機種からFM音源が内蔵されたことにより、ゲームソフトウェアも充実してきたのも事実であった。
中でも当初驚かされたのは、株式会社ナムコ(※当時)のビデオゲームからキャリーソフト(※当時)が移植した「ギャプラス」。(※画像・左)
これはディスプレイを、なんと「縦置き」にしてプレイするものであった。勿論、キーの切り替え設定メニューも付いているという親切さだ。
また、同メーカーのビデオゲームを移植して販売することで有名な電波新聞社(※当時)の「ギャラガ」も、本物にはない同社独自のアレンジとギミックで楽しむことができた。

さて、当時98シリーズのゲームといえば、定番だったのが「シュミレーションゲーム」。
中でもシステムソフト(※当時)「大戦略」シリーズは、長きに亘ってそのシリーズが販売された。
また、同社は「3Dフライトシュミレーション」に戦闘機の要素を加えた、「エースコンバット」シリーズをはじめとして、「零戦記」など、数多くのシュミレーションゲームを展開した。
そして、歴史上の人物とその時代を舞台にした光栄の「歴史シュミレーションゲーム」は、当時、多くのユーザーに人気を得た。当時でいえば、「信長の野望」や「三国志」といったものが人気だった様だ。

このほか、現代では定番のゲームであるRPGなども多数販売されていた。(同社販売の下位機種・PC-8801mkⅡSRシリーズ版より多数の移植版が販売された)
中には精巧なアニメーションを駆使したアクションゲームさえも、このパソコンで遊べるようになっていたのは、当時凄いことだと思った。


・使用機種を変更する

そんなわけで、作者はこの仕事を始めてから一年後くらいに、当時販売されていた「PC-9801US」に機種を変更した。
さすがに以前使っていたPC-9801Eに比べて、その環境も格段に変わった…。(ただこの時は、まだディスプレイはそのままであった)
なお、同機種についての解説は特にないが…本体がコンパクトなうえ、当時発売されていたノートタイプ(※「98NOTE」シリーズ)のハードディスクがそのまま使用できる仕組みとなっていた。
…ただ、メインメモリの上限は3.6MBくらいであったと思うが、そこから先は拡張できなかった様だ。
また、同じ時期、この系統のシリーズとして、「PC-9801UR」、そして「PC-9801UF」という機種も存在した。
これらは前述のノートタイプをデスクトップタイプにしたような面白い機種であった。
その特徴としては、確かどちらかが(※記憶があいまいで申し訳ない)フロッピーディスクが一基内蔵のみで、ノートタイプのように「RAMディスク」が使用できる機種だった。

ところで作者は後に、このPC-9801USを使用して音楽製作をやっていた経緯がある。
それはまた、別の記事で解説することにしよう。
また、そちらでは、同時に楽曲データの公開もする予定である。

補足事項

当時「PC-9801FA」の発売以降、従来のCPUをこの機種と同じ「80486」相当に乗せ換えるハードウェアが発売されていた。
しかし…取り付け後、周辺回路はかなりの熱を持つため、作者も当時は顧客対応の際は随分と心配だった覚えがある。
…ただ、実際にその乗せ換えた分だけのスペックは上がったのか?と言われれば…正直、あまり効果はなかったような気がする…。


・互換機の登場

別の記事(「作者のパソコン体験記 (※旧機種編)」の「SHARP製16ビットパソコン・MZシリーズ編(※ほか)」)でも少し解説しているが、当時EPSONから、「PC-9801互換機」が販売された。
その発売当初は随分と賛否両論?だった様だが…結果、同メーカーは販売に成功し、ユーザーのあいだからは、「本家よりも価格が安く、処理速度が少し速い」という名目で、人気の機種となった。
しかし…。
この機種に対して、当時作者はある「作業」を目の当たりにした。
それは…。
OSであった「MS-DOS」や、そのうえで動作するソフトウェアについて、ある「書き換え」ソフトウェアを通さないと、同機種で使用することができなかったのだ。
また、どのソフトウェアがそうだった…というのは、正直、作者も記憶にない。
…というか、個人でもそのパソコンを購入したことはないし、使用したことがなかったからだ。
ただ、前述のように、メーカーが用意するそのソフトウェアを通さなければならない…というのは、確かなことだった。
しかし…。
途中、どうやら「Windows」が発売された時期から怪しくなってきたらしい。(※初期のWindowsのインストール用のフロッピーディスクの枚数は半端ではなかった)
やはりすべてを…というわけではないらしく、完全な互換ではなかった…という結果に終わった様だ。